固め支えた現場のつながり
枝元社長(当時)の激励を受けてから、赤い箱、自社のビールケースの行先を追うようになった。
白と黄色のビールケースばかりが目につく中で、赤い箱を2~3ケース積んでいる問屋さんのトラックを捕まえては行き先を聞く。赤い箱を積んで走っている酒販店さんのトラックを見れば、店名をチェックして挨拶に伺った。「あそこの酒屋さんだよ」。「近くの居酒屋から注文が来るんだ」。黒ラベルを使って下さるお店があり、飲んで下さる方がいるという事実。文句ばかり言っていた私の気持ちを前向きにした。
営業の面白さを感じはじめた私は、業務用を極めたいと思うまでになった。旅館の女将さんや飲食店の店主さん、納入している酒販店さん。実際の現場に携わる様々な方のお力がつながって、赤い箱が増えていく実感。一緒になってやって下さった方達が、営業マンとしての心を固めて下さったと感謝している。
山陰支店に配属されて3年目、当時支店長だった松村さんが、「東京のど真ん中で自分の力を試して来い」と言って送り出してくれた。自信を胸に秘めて行った東京は、毎日が事件の連続だった。200席の居酒屋が決まったと同時に、違う居酒屋が他社に切り替える。それこそ生き馬の目を抜くような所で、スピード感も山陰とは全然違う。自信はボロボロになった。
その私を支えてくれたのは、現場に携わる方達とのつながりだった。一朝事が起これば酒販店さんが、「何やってんだ横山君」と情報を伝えて下さる。一人で商品を売っているのではない。「業務用の道は間違いではなかった」と気持ちを新たにした。
※全国醸界新聞2012年8月12日号掲載
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