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「縁」つなぐ不思議な山荘 アサヒビール大山崎山荘美術館

 京都府乙訓郡大山崎町。天王山の中腹にあるトンネル「琅玕洞(ろうかんどう)」を抜けると、アサヒビール大山崎山荘美術館がある。同美術館はもともと、大正から昭和にかけて活躍した実業家、加賀正太郎氏が建てた別荘を本館としている。
 加賀氏は証券業などで成功した実業家という以外にも、アルプス山脈ユングフラウの登頂に日本人として初めて成功したほか、洋蘭の栽培にも注力し多くの新種を生み出し、記録としての版画集『蘭花譜』も制作するなど、文化的な面でも多大な貢献を残した人物だ。
 その加賀氏が自ら設計・監修した山荘は、多方面で活躍した加賀氏のこだわりが随所に見られるなど建築物としての価値も高く、本館や琅玕洞を合わせた敷地内の計6つの建造物が国の登録有形文化財に指定されている。
 そしてこの山荘は、不思議な「縁」がつながる建物でもある。山荘が現在美術館として保存・活用されているのも、多くの縁がつながっているからこそなのだ。
 時代を超えた不思議な縁に導かれるように、山荘は1996年、平成8年4月にアサヒビール大山崎山荘美術館として開館し今年で20周年を迎えた。アサヒビール大山崎山荘美術館が加賀氏の別荘だったころからつないできた縁と、これからもつながれていくだろう縁とは。アサヒビール大山崎山荘美術館の粟津晶館長に聞いた。

※「醸-かもす-」2016年4月号掲載

アサヒビール大山崎山荘美術館 粟津晶館長

時代を超えた不思議な縁

 「私は山本爲三郎翁が初代社長を務めたアサヒビールに入社して、その後、竹鶴政孝翁が創業したニッカウヰスキーにも6年4カ月勤務していました。そして、今はこの美術館の館長ですが、ここは加賀正太郎翁が建てた山荘。考えてみれば、私自身もすごいご縁があるなと思ってるんですよ」
 そう話すアサヒビール大山崎山荘美術館の粟津館長。今年20周年を迎えたアサヒビール大山崎山荘美術館には、粟津館長が名前を上げた3人、山本爲三郎氏、竹鶴政孝氏、加賀正太郎氏の人生が紡いだ不思議な「縁」の物語がある。

 アサヒビール大山崎山荘美術館本館はもともと、加賀正太郎氏が建てた元別荘だということは前述の通りだが、当時、この山荘の近所には竹鶴政孝氏が住んでいた。海外への渡航経験があるもの同士気があったのだろう、両家は親交を深め、後に竹鶴氏がニッカウヰスキーを創業する際には最大の出資者になった。そして時がたち、死期を悟った加賀氏がニッカの株を託したのが、かねてより深い親交のあった山本爲三郎氏だった。

 地元の有志が保存運動を起こしマンション建設に反対する中、京都府や大山崎町の要請を受け、山荘の保存と活用に協力したのがアサヒビールだった。当時の社長は樋口廣太郎氏。斜陽の時代から奇跡の復活への道筋をつけ、また、企業メセナ活動にも積極的だった樋口氏が社長を務めていた時より以前にマンション建設の話が持ち上がっていれば、協力することはできなかったといっても過言ではないだろう。
 時代を超えた不思議な縁につながれた山荘は、アサヒビール大山崎山荘美術館として新たな時代に復活を遂げたのだ。

来館者をまず出迎えるのは「琅玕洞(ろうかんどう)」と呼ばれるトンネル。広い敷地を持つ大山崎山荘の入口だ。

受け継がれる社会貢献

「私的な物件なんかだと、地元の方への楽しみや憩いの場の提供ということができないので、ぜひこの空間を活かして、美術を楽しんでもらうとともに自然の景観や建物の良さも広く知ってもらって、社会のお役に立ちたいということだったんだと思います」。
 粟津館長は、協力要請を受け入れた樋口氏の当時の思いをそう推測する。そしてそういった社会貢献の精神は、山本爲三郎氏の時代から受け継がれているのではと話す。

 山本爲三郎氏は柳宗悦氏や濱田庄司氏、河井寬次郎氏らが提唱した、日用の雑器に美的価値を見出し正当に評価しようという「民藝運動」を熱心に支援した人物でもある。

 「柳宗悦は、『健康の美』ということをよく言ってるんですが、いろんなご縁がある中で山本爲三郎翁自身が、民藝運動を展開した人たちとのつながりを強くしていった。諸説あるかとは思いますが、日本のメセナ活動の先駆者としての顔ももっていた。人々の健康的なところをもっともっと見てもらって、元気になってほしいという気持ちが強かったんだと思います。皆さんに飲んでいただくビールをつくっているメーカーですから、会社の決算だけ見ていればいいということではなくて、皆さんが笑顔であるかとか健康であるかとか、そういうことも感じていたと思います」

 山本氏が蒐集した民藝運動ゆかりのコレクションは、山本家の遺族からアサヒビール大山崎山荘美術館に寄贈され、モネの≪睡蓮≫など西洋の絵画と並ぶ同美術館所蔵品の大きな柱として、来館者に「健康の美」を伝えている。ここでもまた、山本氏と加賀氏、そしてアサヒビールの縁がつながっているのだ。

10月ごろの、木々が色づき始める前の庭園。四季折々で表情を変える見事な庭園も、アサヒビール大山崎山荘美術館の魅力の一つだ。

三位一体のあたたかさ

 アサヒビール大山崎山荘美術館では、開館20周年を記念した特別展を開催している。プレ企画として3月13日まで開催していた「山本爲三郎没後50年 三國荘展」を合わせると、およそ一年三ヶ月の間に開催される企画展は計5回。現在は企画展の第一弾として、「終わりなき創造の旅 ―絵画の名品より」展を6月5日まで開催している。
 この一連の企画展は、「三國荘展は初代社長の山本爲三郎翁にスポットを当てた企画展で、いわば過去です。そして春夏と、我々が所有している美術品を展示します。これは我々の現在の姿です。そして新しい試みとして、秋と冬には他の美術館からお借りしたものと合わせた企画展や関西初となる企画展を開催します。これは未来に向けて。美術館のこれまでとこれからを皆様に見ていただければ」と粟津館長。

 一連の企画展の開催に併せて新しい取り組みも。

 「当館の魅力というのは建物自体にもあると思うんです。建物の見どころをまとめた冊子を、20周年を記念して特別につくったんですよ。来年の春まで、入館された方全員に無料でお配りします。素晴らしい庭と建物があって、その中には素敵な展示物がある。そういう三位一体の良さを発信していきたい」

 これまでも京都府や大山崎町との連携を進め、地域に根差した美術館として様々な発信や取り組みを強化し、新たな縁をつなげてきた。開館20周年を機に、建物や恵まれた自然環境もいかし、より多くの人との縁をつなぎ、アサヒビール大山崎山荘美術館としてできる社会貢献の方向性を探っていく。

 「当館はやはり山荘なんです。私は山登りが好きなんですが、山に登って山荘に行くと、やっとここで落ち着けるな、ほっとするな、という気になるんです。そういう山小屋と同じような、安らぎや心豊かさを感じられるところだと思います。ぜひ一人でも多くの方に来ていただきたいですね」

 居丈高でなく、誰でも受け入れるような温かさを持つ山荘だからこそ、縁を生み、縁を結び、またその縁で美術館として時代を超えて存在しているのかもしれない。一度といわず、二度三度と訪れたくなる不思議な美術館だ。

※本記事の内容は日付等の記載がない限り「醸-かもす-」掲載時点でのものであり、将来にわたってその真意性を保証するものでないこと、掲載後の時間経過等にともない内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。

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