社長の激励「自信をもってやってみろ」
埼玉支社で4年半をすごしたあと、中国支社山陰支店へ。営業マンとしての気持ちが固まった思い出の土地だ。
始めはショックの連続だった。営業に回ると「札幌からわざわざ来たんですか?」。黒ラベルを勧めると「黒ビールはいらない」。黒ラベルが知られていないどころか、サッポロビールの事すら知らない人がいる。一つの県につき担当は一人だけ。街頭もなく、月明かりがかすかに照らすだけの真っ黒な夜の日本海を眺めながら、「営業マン一人でいったい何が出来るのか」と途方に暮れた。
悩む毎日を過ごしていたある日、問屋さんを訪れていた時だった。ポケットベルを見ると本社の番号が。何事かと思い電話をすると、電話口から聞こえる声の主は当時の社長、枝元賢造だった。
当時、社長への手紙という目安箱のような制度があって、私は「知らない人が多すぎる。何とかしてほしい」と、窮状とも苦情とも知れないような訴えの手紙を出していた。それが目に留まり連絡してきたのだ。
会合等で見た事はあっても、直接話した事などないトップからの連絡。戸惑う私に社長は言った。「俺もサッポロが一つもないような所を担当したが、8割サッポロにした。黒ラベルはそれが出来るんだ。自信を持ってやってみろ」。自分と同じ、もしくはそれ以上に悩み、乗り越えてきた大先輩からの激励だった。
「知られていないから売れない」と嘆いていた私にとって、一つの道筋が見えた思いだった。「よし!出来るだけやってやろう」。一念発起した私が目をつけたのは赤い箱、自社のビールケースだった。
※全国醸界新聞2012年7月27日号掲載
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