お客様に助けられた営業マン
新聞でドライ戦争が報じられていた昭和63年、京都支店から横浜支社へ転勤した私は、「本当にビールがドライみたいになっていくのか」と疑問を感じていた。びん生(後の黒ラベル)も好調で、京都でも“生はサッポロ”という評価が定着し始めていたし、首都圏は特にそうだったからだ。
ところがその翌年、びん生をリニューアルし、新たに「ドラフト」として発売することが決定した。
「なんでだ!?どうしてだ!?」。当時の営業は誰もがそう思っていたと思うが、社内は「ドラフトに命を懸けろ!」の大号令。びん生の話は一切ご法度になった。
ドラフトの発売後、ひたすらお願いしてまわったが、特約店に行くと、肌で実感できるほど数字が急激に落ちていく。どこに行っても厳しい言葉を投げつけられる。特約店に行くことも、お客様の声を聴くことも本当に辛かった。
―そのお客様の声がびん生を復活させた。
「なんで黒ラベルをやめたんだ」。「黒ラベルをやめてしまうサッポロなんてもう飲まない」。本社へは苦情の手紙が山のように送られていた。
半年後、びん生の愛称だった黒ラベルを正式ブランドとして復活した。黒ラベルというビールのすごさを再認識するとともに、「ご法度でも黙ってちゃいけない。現場の声、お客様の声を会社に言い続けないといけない」と営業マンみんなの意識が変わった。
もう1年「ドラフトに命を懸けろ」と言われていたら、営業全員がダメになっていたと思う。黒ラベルを愛して下さる多くのお客様の声が、営業マンを助け、成長させてくれた。(次号に続く)
※全国醸界新聞2012年5月14日号掲載
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