サッポロビール文化広報顧問・ヱビスビール記念館館長
端田晶氏に聞く
「醸-かもす-」2015年1月号掲載
これまでのメインユーザーが高齢化していく一方で、若者にとって必要不可欠とはされず、生活必需品から嗜好品としての性格が強まっているお酒。需要掘り起こしには、味覚や生活の変化に合わせた商品開発に加え、お酒を飲む意味や価値の発信が必要不可欠だ。
お酒が人にとって果たすべき役割とは何か。新年にあたり、種類や国の内外を問わず、お酒の文化・歴史に詳しい、サッポロビール文化広報顧問、ヱビスビール記念館館長の端田晶氏に聞いた。
直会からストレス解消へ 変化したお酒の役割
いくつかパターンはあると思いますが、多くの民族にとってお酒というのは、一つはやはり神様との関係。自分が日常で起こすことのない現象を起こす、それは神様の偉いところ、不思議なところですよね。その神様に近づく手段、憑代になって神様が乗り移るとか、そういう儀式的なことがすごく多いんです。
日本でもそのパターンが古代からあったようで、共同体が神様を中心として一体化する手段としてお酒が真ん中にある。ですが、それは巫女さんとか特殊な立場の人の話であって、一般の人にとっては、超常現象が起こった時におさげ渡しいただいたお酒を飲む。いわゆる〝直会(なおらい)〟ですね。この直会が宴会の起源であろうといわれているんですよ。
それこそ風土記のあたりから徹夜の宴会があったという記録が残っています。日本人にとってお酒というのは基本的に宴会であって、宴会というのは神様を中心に共同体の絆が強まる儀式なんだという考えが一般的なんです。
昭和15年、1940年の大蔵省の統計で、お酒がどれぐらい製造されているかという記録があるんですが、それを15歳から65歳の生産人口、総務省が出してる統計ですが、それで割ると、一人当たり3リットルの純アルコールを戦前の日本人は飲んでいた。それが昭和55年、1980年になると、同じ計算で8・3リットルと3倍近くになるんですよ。
これには二つの要因があって、一つは女性の飲酒が増えたこと。でもそれだけでは説明しきれなくて、多分ですが男性が2倍ぐらい飲んでいる。それはどういう飲み方かというと、文化人類学者の石毛直道さんも書いておられるんですが、戦前の日本人はたまの宴会でへべれけになってという飲み方で、これは古代から続く、共同体の絆を強める作業だと。それが1980年の段階になると、基本的に毎晩晩酌をしてへべれけにはならない、ほろ酔い程度。だけど絶対量は増える。
つまり、日本人のお酒の飲み方が、共同体の絆を強めることから個人のストレス解消に変わってきた。お酒は共同体のものであるという意識が薄れた結果、コミュニティーの中でお酒を使わなくなる。
一番極端な例が若者のお酒離れと言われることですね。
個人的なストレスというのは実に多様であって、昔はストレス解消と言ったらお酒しかなかったんですが、今は映像があったりゲームがあったり、ストレス解消の方法はいろいろあるわけですよ。そうすると、「何もお酒飲まなくてもストレス解消できるじゃん」みたいなことになって、お酒の意味合いが薄れていってしまう。
僕らはお酒というビジネスをやっていく中で、そこを考えていかなければならないと思うんですよ。
戦前と比べるとお酒の意味合いが変わってきているし、量は増えている。ということは、現実には健康被害みたいなことも考えなくちゃいけなくなっている。そういう環境の中で、僕らは本当に真剣に、お酒を意味あるものとして消費者に受取ってもらわないといけない。そういうコンセプトをもう一度作り出す。それがこの10年20年の課題なんだろうなと。それが作れないと、悪くするとタバコみたいになんとなく健康に悪い悪いと言われて、なんとなく社会の片隅に押し込められてしまう。
お酒の良さ、酒場の良さ 飲まない人を飲む場所へ
個人的には、お酒の持つ共同意識を生み出す力を、もう一度取り戻す時期に来てるんじゃないかと思っているんですよ。例えば仕事をする時に、組織に深くかかわらないで時間だけ売って帰っちゃうとか、会社の宴会には出ないとか、そういう話をよく聞くじゃないですか。世の中には人と人の結びつきがほしいと言う声があるにもかかわらず、お酒がその役割を上手く担えていない。それは問題なんじゃないかと思っているんです。
そういう意味でいうと、お酒の飲み方、お酒を愉しむ心得っていうのは非常に需要なテーマだと思います。お酒を飲むことが共同体の絆を強めるのではなくて、お酒の場、お酒によって柔らかくなった場というものに、お酒を飲めない人を温かく迎え入れられればいい。そう考えていかなけばならないだろうと思っています。
一昨日、職場の昔の仲間4人とお酒を飲んだんですよ。でも僕以外の3人のうち2人はお酒を飲まなかった。一人は妊娠していて、もう一人はもともとお酒にあまり強くなくて最近は飲まないと言うんですね。でも4人でずっとしゃべってるんです。「久しぶりだね」なんて言って、ワーワーとやって、僕の行きつけの呑み屋さんだったので、そこのママとかも参加して盛り上がってるんですけど、よく考えると二人は飲んでいないんです。でもそれでいいんですよね。
僕が講演でよく使うネタですが、酒席で上司が部下の評判を上げるテクニックが三つある。昔の雑誌のアンケートで、新入社員から聞きましたっていうような話なんですけど。一番は「おごってくれる」。これは当たりまえですよね(笑)。
二番は「話を聞いてくれる」。自慢話とかをするんじゃなくて、聞いてくれて話を引き出してくれると。
そして三番目が「お酒を無理強いしない」。
例えばビアホールに10人位で行って飲み始めると、ピッチの早い人が「ボーイさん!10人分追加!もうワンラウンド!」とかやるでしょ。お酒が弱い人はそれが耐えられない。そういう時に偉い人が「ちょっと待て」と。そう言ってくれるのがすごくうれしいと言うんですね。
僕は割と年齢の高い方に向けて講演することが多いんですけど、「これはぜひやった方がいいですよ。部下が信頼するようになります。何よりいいのはお金も気も使わないでいい」って話すんですよ(笑)。
そういう心構えをしておくことで、お酒を飲めない人、飲まない人をお酒の場に迎え入れられるようになる。少しラフにしゃべっていい、本音をしゃべっていい。少し無礼講で、お互いの気持ちがほぐれて関係がよくなる。そういう場所にどうやって人を迎え入れていくか、誘っていけるか。
お酒を飲めない、飲まない人たちは食べるものがないと暇だから、料理のおいしいお店へ行ってお酒の無理強いはしない。そうすると、お酒を飲む人と飲まない人が一緒に楽しむということが成立する。
そうやってお酒の良さとか酒場の良さを伝えていくことが必要なんじゃないか。そんなことをずっと思ってるんですよ。
それから、乾杯をしようというのも最近よく言ってるんです。乾杯をするというのは、共同体としての最初の儀式をするということです。共同体としての絆を強めるには、人間には少しそういうことが必要なんです。
それに、特に大人数で飲んでると、こっちは4人、あっちは5人なんて言う風にグループが分かれてきてしまうでしょ。それで遅れてきた人が来たら、遅れてきた人のためにもう一回乾杯する。そうすることでそれぞれに固まったグループがほぐれる。
みんなで飲んでるんですから、普段からしゃべってる人間とばかりしゃべってるようではいけないわけで、みんなで楽しみましょうと乾杯するのが大切だと思います。
シーンで変わるお酒の心得 飲む「目的」を意識する
お酒を飲むことの意味をさっき申し上げた二つ、個人のストレス解消と共同体の絆だとすると、そのどちらに重点を置くか。
個人が家で飲むときの心得と言えば、まずは飲みすぎないってことでしょうね(笑)。それとちゃんと食べること。例えばビールは炭酸ガスが口の中をどんどん洗ってくれるから、塩分や油を取りやすい傾向があるんです。ジュースで串カツ10本食べろって言ったらこれは罰ゲームみたいなものですけど(笑)、ひとたびビールがあれば「10本ご馳走様です」となるわけで、そういうところが良いところでもあり、悪いところでもあるわけです。
お酒を一人で愉しむのは、僕も好きですし必要なことだけれども、一番気になるのはちゃんと食べること、それと塩と油を取りすぎないこと。おいしいんですけどね(笑)。それとタンパク質をちゃんととる。それに尽きると思います。
人と飲むということは共同体の問題。一人で飲みに行っても、そこの大将とは臨時の共同体ですし、常連同士でなんとなく共同体になって、人相が悪い人が来るとみんなでカウンターの端によったりね(笑)。メンバー一人ひとりの気分がいい、その中にはお酒が飲めない人もいるという前提で、その共同体をどう盛り上げていくかです。
それと、お酒を飲むときに飲む目的みたいなことをちゃんと意識するというのも大事だと思います。
村松友視(作家・エッセイスト)さんの「一時、二友、三肴」という言葉があります。一はお祝い事もそうですし、あるいは打ち上げでもいい。幸田露伴は「酒飲まぬ たわけがあるか さくらかな」という句を残していますが、まさに時を得る、桜を楽しむために、みんなで頑張った成果が出た、そういう目的がはっきりしていること。
二の友達も大事ですし、三の肴は完全にそうですよね。初ガツオだとか冬のフグだとか、そろそろ牡蠣の季節だなとか、それらを楽しむいうことに焦点を置く。そうすると友達が来るからその友達の好きなお酒を選んだり、肴にあったお酒を選んだりと、周りから攻めていってお酒をおいしくしていく。
でも、本当の理想は〝おいしいお酒を飲むために、おいしいお酒を飲む〟ということでしょうね。
純粋にお酒がおいしくてそのお酒を飲みたい。そのためにはこの肴があってこの容器で、一緒にしゃべるのはこの人でというのが理想。そういう気持ちで純粋にお酒と向かい合えたらすごい幸せだと思うんですよね。そういう意味では、旅先の楽しみって近い部分があるんですよ。
日常と切り離された場所で、地元のお酒と料理なんかが出てきたら、純粋に正面から対峙してやろうという気持ちになるじゃないですか(笑)。これがいいんですよ。そういうことが年に一度の旅行とかの楽しみなんだと思います。日常にいたらストレスはあるし明日の仕事はあるしで、色々と気をもむんですよ。 いかに純粋にお酒と対峙できるか。これが一回できたら、多分半年ぐらいは幸せでいられると思いますね(笑)
※本記事の内容は日付等の記載がない限り「醸-かもす-」掲載時点でのものであり、将来にわたってその真意性を保証するものでないこと、掲載後の時間経過等にともない内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。