「一番合わない」と言われた京都
自分が選んだ業務用の道に間違いはないと、気持ちを新たにした東京で9年を過ごした後、配属されたのは兵庫県。担当は加古川や姫路などの播州エリアだった。
生き馬の目を抜くような市場から一転、営業先で返ってくる答えは「札幌からわざわざ来たんですか?」「黒ビールはいらない」。当時、播州のシェアは4%あるかないか。黒ラベルの認知度の低さに愕然とした山陰よりもさらに低かった。
―黒ラベルに自信を持ってやってみろ―。枝元社長の言葉を思い出し気合を入れた。やる事は山陰時代と同じ。トラックに積まれた赤い箱の行先を追った。大事なのは現場に携わる様々な方とのつながり。それは播州でも変わらなかった。
播州を1年、三宮を3年半担当し、現在の京都へ配属された。初めて所属長として配属が決まった際、諸先輩からは「横山みたいなのは一番京都に合わない。言葉遣いや礼儀作法にとにかく気をつけろ」と注意された。
確かに配属された当初、厳しいお言葉を頂戴した事もあるが、それは言葉使いや礼儀作法といった形の事ではなかった。
人間としての素直さや謙虚さ、一つひとつをおろそかに扱わない姿勢。人間関係を大事にする京都では、それらに欠ける人間は信用してもらえない。社内的な立場は所属長であっても、社外的には一社員。一人の人間として、いかにお客様と真摯に向き合っていくかが大事だと、改めて教えて頂いたと感じている。
人間の本質と本物の商品を大事にする京都。諸先輩から「合わない」と言われた街が、今では長くいたいと思える街になっている。
※全国醸界新聞2012年8月27日号
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