~未来へつなぐ最高の一杯~第5回
アサヒビール近畿圏広域支社 京滋広域営業部 平林勉部長
「当時の全国シェアは24%位だったんですが、愛知県の尾張地方は非常に低くて、シェアが5%ぐらいしかなかったんですよ。スーパードライが全国的にすごく売れてるのに、なんでこんなに低いんだってビックリしましたよ(笑)」と入社当時を振り返る、近畿圏広域支社京滋広域営業部の平林部長。入社は平成4年。イメージと現実のギャップに戸惑いながらもひたすら営業に回った。そして2ヶ月後、一軒の焼鳥屋がビールを全数切り替えてくれた。
なぜ切り替えてくれたのか。前任者の功績を引き継いだだけなのか。タイミングが良かっただけなのか。様々な憶測が頭の中をめぐったが、決め手は誠意と熱意だったのではと話す。「一生懸命来るし、一生懸命やってくれるから変えたるわって。お店で飲まして貰った生ビールはおいしかったですね」。迷いを抱えながらも自分なりに頑張り、手にした成果を味わう一杯は格別だった。
そんな平林氏には、二度としたくないと話す経験がある。平成23年3月11日に発生した東日本大震災だ。「要望はあるのにお届けすることが出来ない。メーカーとして当たり前の事が出来ない。こんなに辛い事は無かったですね」と、全国系スーパーの担当者として東京の本社に勤務していた当時の悔しさを語る。
潤沢とは言えないが工場に商品はあった。得意先からの要望もある。しかし物流網が寸断され、運ぶ手立てのない状況が一週間ほど続いた。その後、徐々に出荷できるようになってはいったものの、工場の自動倉庫や物流網の修復は震災後の混乱の中で遅々として進まず、具体的な見通しは立てられないまま。得意先からの問い合わせには、誠意を込めて状況を説明するほかなかったという
悔しさと誠意を胸に奮闘を続けていた平林氏に一時の安堵をもたらしたのは、平林氏の誠意を受け取ったスーパーの担当者の言葉だった。「『アサヒさん、頑張ってくれてありがとう。これからもよろしく』っていう言葉を頂いたんですよ。一生懸命頑張り続けて、ほんとによかったと思えた瞬間でした」。杯を傾けながらその言葉を聞いた時、季節はすでに初夏を迎えていた。
震災を機に、“当たり前”の大切さと大事さをあらためて感じるようになったという平林氏。我々が生活の中で、ごく当たり前に感じている一連の流れ。それを実現するためには、当たり前という言葉に隠れた、見も知らぬ人達の努力と、努力を裏付ける誠意がある。目の前にある1杯には、その役割を日々担う、見も知らぬ多くの人たちの誠意も込められている。
※全国醸界新聞2013年6月27日号掲載
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